ぺトラ・ブッシュ著 酒寄進一訳 創元推理文庫 2016.9.18読了 ★★★★
都会育ちというわけではないけれど、通勤圏の住宅地で育ったので、「大自然」というものにはあまり馴染みがない。(身近な自然には親しんでいたけれど。近所の空地を歩き回ってキノコを見つけたり、虫取り網で蝶やバッタを捕まえたり。)だからたまに遠足や林間学校で山間部へ行く時には、バスの窓から靄にけぶる山並みや、うっそうと茂る木々を眺めて不思議な気分になったものだ。なんだろう、「何か」の存在を感じていた。私たちを包み込ただずんでいる何か。畏怖の対象、のようなもの。
「漆黒の森」は、舞台となったドイツ南西部の「黒い森」の描写を楽しむつもりで読み始めたのだけれど、この小説、メインはふもとの小村の住民や、捜査官、居合わせた女性編集者の人間ドラマなので、森の描写は思ったよりさらっとしていた。そもそも原題の「Schweig still, mein Kind」は森とは関係なく、「我が子よ静寂のままに」とか「我が子よ黙してあれ」(?辞書ひいたけどよくわからない)とかいう意味みたいである。
森の中で発見された妊婦の遺体からは胎児が持ち去られていた。村人は森に巣食う「鴉男」の仕業だと噂する。そして同じ村では10年前に、生後数日の赤ん坊が行方不明になる事件が起きていた・・・。都市部から来た捜査官は威圧的な態度で村人の反発を招き、捜査は難航するが、地道に調査を続ける。一方編集者は柔軟な態度で相手の心に触れ、重要な証言を得る。はじめ反発し合っていた二人はやがて信頼関係を築き、協力して真実に迫っていく。
という、わりとベタな展開である。この二人の恋愛が絡んできたりするのでなおさらだ。しかし、「よそ者」である彼らが嘘と隠し事と因習がはびこる村の中を歩きながら自身の問題にも向き合い、出口を探す姿は読みごたえがある。そしてその他の登場人物たちについても丁寧に描かれ、異常な状況に説得力を与えている。
ただし「共同体」という視点でみると、どうもぴんとこないものがある。鴉男の伝説が基となり、ある家族が伝統的に差別されている。その家の少女が父親のわからない子を産み、その赤ん坊が行方不明になったことで、差別感情が高まり、その家族は崩壊する。。因習にとらわれた、狭い村社会の偏見、差別、息苦しさ、愚かさ。そんなものばかりが描かれている。村の構造にもう少し多重性があってもよかったのではないか。
差別と畏怖とは裏表のものだし、被差別民は祭祀や芸能に関係が深いことが多い。この話では、神への信仰を教会で告げながら、村人が本当に罪の許しを請う場所は、森の奥の古い処刑場、相手は鴉男だ。それなら、鴉男に深く関わる「罪人の家系」がその中で何らかの役割を持っていても不自然ではないような気がする。差別を受けていても、その家は共同体の一員なのだから。
そんな村の描写が続く中、異彩を放っているのが自閉症の天才(サヴァン症候群患者)、ブルーノの存在だ。彼は特異な感情構造と表現方法を持ち、普通の言葉で他者とコミュニケーションをとることができない。彼の言葉は、植物の生態、そして化学記号によって紡がれる。彼によって人は植物の名前を与えられ、その言葉によって翻訳されたこの世界の姿は奇妙で即物的で美しい。
彼は、グロテスクな方法で胎児を埋葬する。グロテスクで、そしてとても理にかなった方法で。彼に善悪の意識はなく、そこには純粋な愛情だけがあった。彼にとって命をつなぐこと、それは遺伝子の配列をコピーすることだけではなかった。新たな命の一部になる。そして老いて朽ち、また新たな命となる。世界を化学記号で認識する彼にとっては当たり前の循環なのだろう。
穏やかに暮らしたい。愛されたい。幸せになりたい。成功したい。ささやかな望みを持つ人々を、運命は時に優しく時に残酷に翻弄する。その営みに寄り添うにしてそこに存在する黒い森の、背後に鴉男の断罪を見て許しを乞い、豊穣の実りを得て感謝をささげて生きていく。そして本当に孤独になった時、この世のあらゆるものから解き放たれて彼岸に旅立つとき、生命の循環を具現する森は、どんな姿を最期に見せてくれるのだろう。