天藤 真 著 創元推理文庫 2016.9.14読了 ★★★★★
ミステリーを読みたいと思いつつ、まだ勝手がわからないので、とりあえず名作と呼ばれるものを片っ端から読んでみようと思っている。この「大誘拐」もその一つ。「(週刊文春の)20世紀ミステリーベスト10 国内編第1位」と文庫の帯にある。背表紙のあらすじを読んで、よく聞くような話だと思った。この作品は1978年に発表されたものなので、その後の作品に影響を与えたということか。
読み始めたとたん、たしかにこれは名作だと思った。あっという間に話に引き込まれてしまった。序盤、刀自の誘拐にこぎつけるまでの三童子(チンピラ三人組)の涙ぐましい努力と失敗の日々。ともすると退屈な場面にもなりかねないところをぐいぐい読ませる文章力。さらっとした性格描写の中に三人の特徴を際立たせ、それぞれに感情移入ができるようになっている。
そして刀自の存在感。温厚にして怜悧、沈着にして大胆不敵。小さな小さな体にやどる情熱が、ありふれた営利誘拐を、世界が驚愕する「大誘拐」へと変貌させる。次々と現れる難問を奇抜な方法で乗り越え、テレビカメラを通じて全世界が見守る中、奇跡のように世紀の誘拐劇を成功させてしまう。いやもう、「いったいどうするんだろう」とハラハラドキドキしながらページをめくっていましたよ。
そして最後に明らかになる刀自の心のうち。彼女の「動機」。この部分を読んで、何かがすとんと落ち着いた。泰然とした微笑みの奥で揺れ動く猜疑、悲しみ、憎悪、無気力、希望、情熱、愛情。一人の卓越した人物の人間的な厚みを感じさせるこのくだりによって、小説が完全なものになっているように思う。
読後、中井英夫の「虚無への供物」を思い出した。アンチミステリーと言われるこの小説と「大誘拐」とは、特に共通点は無い。それなのに何を思い出したかというと、動機の部分。「大誘拐」とは対照的に、「虚無への供物」の終幕で犯人によって語られる動機は、現実感がないというか、形而上学的(?)で曖昧なのだ。
そのためどうしても拍子抜けしてしまう「虚無への供物」の結末を読んだ後、なぜか私は泣きたいような気持になり、わけもわからず感動していた。一方「大誘拐」を読み終わった時には、見事だと思い、深く満足したけれど、あのような感情は生まれなかった。それは、私の心が、「大誘拐」の刀自の心の豊穣よりも、「虚無への供物」の犯人のひたすら未熟な、そして純粋な悲しみに反応したからだろう。
もう人生も半ばを過ぎているのに、私の人格は未熟どころか幼稚でさえある。困ったことだ。もっと精進して、立派なお年寄りを目指さなければ。