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神の時空 貴船の沢

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神の時空 貴船の沢

高田崇史 著 講談社文庫   2018.3月読了   ★★★★

神の時空シリーズ第3弾。貴船へ水を取りに行く話。

以下、気になった点をメモ。

「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」通称「下鴨神社」
「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」通称「上賀茂神社」

下鴨神社
「延喜式」で古来霊験が著しいと認められている「明神大社」、山城国一の宮
主祭神:玉依姫 賀茂健角身命 (上賀茂神社祭神、賀茂別雷命の母神、父(祖父)神)
700メートルほどの表参道を囲む糺の森 12万平方メートルの原生林

玉依姫の伝説:玉依姫が(下鴨表参道脇を流れる)「瀬見の小川」の本流で川遊びをしていると、川上から丹塗りの矢が流れてきた。それを持ち帰り床の近くに挿しておいたところ、男子を出産。姫の父の賀茂健角身命が成長した子供に宴の席で杯を持たせ「父親と思うものに飲ませるがよい」→子供は杯を持ったまま天井をつき破り天に上ったため、雷神の子であったことがわかりその子を「別雷大神」と名付けた云々。

貴船神社
京都市左京区鞍馬貴船町 旧菅弊中社 (官幣社:皇族関係者を祀る神社)
「貴船」は、気生嶺、貴布祢 木船 黄船 などとも書かれたが、明治4年に天皇が貴船に決定
鎮座は神代の昔 1600年前(反天皇 はんぜいてんのうの頃)ともいわれる
水を司っている神 祈雨 止雨の神= 「雨師神うしかみ」
丑と深いかかわりがある(牛一社 丑の刻参り)

祭神 高龗神(たかおかみ)
   奥宮も同様だが、記伝説には (くらおかみ) 罔象女神 (みずはのめのかみ)
   国常立神、玉依姫などとある。

結社(本社と奥宮の中間に位置する中宮)には磐長姫が祀られている
結社には、天磐船(あめのいわふね)がある。これは「先代旧事本記」には、饒速日命が乗ってきた船だとされている ★饒速日命は十種の神宝を地上にもたらした

奥宮:ここにも船形石がある。ただし船というより背の低い楕円形、百両小判の包みのような形
   この奥宮は、神武天皇の母神であり、下鴨神社の祭神でもある玉依姫が「黄船」で
   川を遡り、霊泉の湧き出るこの場所に祠を建立した「貴船神社始原の聖地」といわれる
   奥宮の本殿の下には龍神の住む龍穴があると言われる。
   高龗、闇龗は水を司る神なので、当然龍神でもある。
   神武天皇の母神も玉依姫とされるが、同一神かどうかはわからない。玉依姫=一般名称?
   しかし怨霊神であることは間違いない

高龗神 闇龗神
伊弉冉尊が火之迦具土神を産み亡くなった際、激怒した伊弉諾尊が十拳の剣で火之迦具土神を切り殺してしまう。その際に剣に溜まった血液から生まれたのが闇龗神(記紀)
伊弉諾尊が伊弉冉尊の死を嘆き悲しんで火之迦具土神を三段に切り裂いた際、その一段から生まれたのが高龗神(日本書紀 神代段一書)
高龗神=罔象女神=魍魎
罔象=水の中に棲む伝説上の怪物=河童・・・弁財天、龍神 乙姫なども同じ仲間

罔象女神に関する謎→丑の刻参り 橋姫伝説
「鏡岩」: 貴船山中腹の岩がいくつも重なり合った場所。かつて貴船の神である玉依姫が
      「丑の年、丑の月、丑の日、丑の刻」に降臨したという磐座。貴船神社が建立
      されるまでは、ここで祭祀が行われていたという。  
「牛一社」:本社境内にあり、現在は木花開耶姫命を祀っている
      元は貴船の社家筆頭の舌家の祖先=牛鬼の形をした童子を祀っていた
      牛鬼=頭が牛で胴体が蜘蛛 海の妖怪(島根県)
                   川の深淵に住む妖怪(和歌山 高知)
「丑の刻参り」→貴船が丑の神だということで関連づけられた?
       →ウシ=ウジ→宇治の橋姫伝説(平家物語)鉄輪(能)

橋姫伝説
橋=端 あの世とこの世の境目に祀られた女性の神
    外敵を防ぐため男女二神を祀ったのがはじめとも言われる。塞の神 道祖神的性格
文献 藤原清輔 「奥義抄」(最古)
   「御伽草子」(物語として現存する)
   鳥山石燕 「画図百鬼夜行」

   「宇治の河瀬に行きて、三七日漬りければ、貴船社の計にて、生きながら鬼となりぬ。
    宇治の橋姫とは是なるべし」(屋代本平家物語剣巻)
    →恐ろしい鬼女のイメージ
     丑の刻参りをした女性が橋姫になり、宇治の橋姫神社に「瀬織津姫」として祀られる
   「御伽草子」↓
   さむしろに衣片敷き今宵もや 
       我を待つらむ宇治の橋姫 読み人知らず(古今和歌集) 
    →優しく哀しい女性のイメージ
   「古今和歌集」「新古今和歌集」の歌は橋姫に同情的だが鎮魂してはいない↓
   ちはやぶる宇治の橋守汝をしぞ 
       あはれとは思ふ年の経ぬれば 読み人知らず (古今和歌集)
   さ筵や松夜の秋の風更けて
       月を方敷く宇治の橋姫 藤原定家朝臣 (新古今和歌集)
   きりぎりす鳴くや霜夜のさ筵に
       衣片敷きひとりかも寝ん 摂政太政大臣藤原良経 (新古今和歌集)
   橋姫の方敷き衣さ筵に
       松夜むなしき宇治のあけぼの 後鳥羽院 (新古今和歌集)
   網代木にいさよふ波の音更けて
       ひとりや寝ぬる宇治の橋姫 慈円 (新古今和歌集)

橋姫神社 宇治橋の200メートル南 宇治川の近く
祭神 瀬織津姫 住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命  後から合祀された)
瀬織津姫 別名 八十禍津日神(やそまがつびのかみ)
        撞榊厳魂天疎向津姫命(つきさかきいつみたまあまさかるむかつひめ・・・)
     祓戸大神(瀬織津姫、速秋津姫、気吹戸主、速佐須良姫)の一人
     天照大神の荒魂 →大きな恨みを呑んで亡くなり、宇治の橋姫と結び付けられた?
     貴船神社の高龗神、玉依姫は瀬織津姫と同体だといわれている
     貴船ー賀茂ー宇治のライン上に恐ろしい神が並ぶ

和泉式部と貴船の神 「十訓抄」
   もの思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る
   奥山にたぎりて落つる滝つ瀬のたま散るばかりものな思ひそ

補陀洛寺 小野小町終焉の地といわれる 通称小町寺

祓戸大神 四柱の神によって我々罪や穢れすべて消滅する→罪や穢れなど貴族たちが
     忌み嫌うものを押し付けられた?

「延喜式祝詞」の「六月の晦の大祓」↓
   「(罪や穢れを)速川の瀬に坐す瀬織津比咩といふ神、大海原に持ち出でなむ。
    かく持ち出で往なば・・」
四柱の神 瀬織津姫 「倭姫世記」によれば、皇太神宮の荒魂であり、八十枉津日神ありである
          皇太神宮の荒魂=天疎向津姫=天の彼方に遠ざけられた向こう岸の姫
          =水辺の神 罔象女神 →高龗神や宇治の橋姫になった
          大いに禍々しい神 大禍津日神

     速秋津姫 別名伊豆能売神
     気吹戸主 「倭姫命世記」によれば神直日大直毘神
     速佐須良姫 本居宣長によれば、素戔嗚尊の娘で大国主命の正妻である須勢理姫
           「名義抄」によれば「伶俜れいへい」→「頼る所、定まる所もなく
           移る」「独りぼっち」「落ちぶれた」という意味
→なぜそれほどまでに禍々しい神になってしまったのか?

賀茂健角身命 = 八咫烏
賀茂氏の祖 熊野の丹敷浦から神武天皇に付き従った(記紀)
             九州から随行した(山城国風土記逸文)
八咫烏 咫 周代の長さの単位 八寸 (十寸に二寸足りない→短い 少ないという意味も)
    八 別れる 背くという意味 
    元の読み「ヤアタ」 アタ→仇 徒 穴 →損失、死を暗示 熱田神宮のア(ツ)タも?
    「ヤタ」 隠語で膏薬のこと→右左どちらにもくっつく
    烏 暗闇 墨 「詐欺を働く」「物忘れが早い」
    →信用できない裏切り者の意
賀茂健角身命=八咫烏は(記紀では熊野の)豪族だったが、仲間を裏切り神武天皇側についた
 →その後三輪の神の住む土地(大和盆地の西南部、葛城山の東の麓)に乗り込み、本拠地に
 →三輪の神(大物主神)を倒して葛城の神となった 
 →(元々三輪一族だったという説もある その場合、同族を裏切った事になる)
 →鴨都美波(かもつみわ)神社→鴨都波(かもつば)神社→葛城賀茂神社 ”三輪抜き”政策
 →その後葛城の「土蜘蛛」に祟られ、山城国に移動↓

健角身命は大倭の「葛城山の峯」にいたが、そこから「山城の国の岡田」を経て「石川の瀬見の小川」を上り、やがて「久我の国の北の山基」に居を定めた(「山城国風土記逸文」による)
 →「丹波の国の神野」にいた伊可古夜比売(いかこやひめ)を娶って
   玉依彦(賀茂県主の祖)、玉依姫(神武天皇の母或は神武天皇の皇后の母)をもうける
 →玉依姫の丹塗りの矢の伝説
 →その後玉依姫は黄船に乗って賀茂川を遡り、貴船神社奥宮へ

上賀茂神社、下鴨神社 賀茂氏の歴史的移動の結果創建された
 →「齋院」制度 朝廷から格別の待遇 =朝廷が賀茂社を非常に重く見ていた
  =賀茂社の大怨霊 玉依姫=瀬織津姫 を恐れた

「ミサキ」=先導役は用済みになると殺される・・猿田彦命、八咫烏
 ※日本各地の「七人ミサキ」=悲惨な死に方をして怨霊となった人々
→賀茂健角身命、賀茂別雷命も殺された

京都の賀茂社→ 参拝者は本殿を拝むことができない構造になっている(境内図でわかる)

上賀茂神社末社「橋本社」 
 古くは衣通姫を祀ると伝えたが、いつからか藤原実方を祭神と伝えるようになった
 かくとだにえやはいぶきのさしも草
     さしも知らじな燃ゆる思ひを 藤原実方 「御拾遺和歌集」「百人一首」
 →藤原実方は、陸奥に下向させられた後に怨霊となった
 衣通姫も藤原実方も、愛する人と無理やり別れさせられて怨霊となった

 →橋姫である玉依姫も、夫或は愛する人との仲を強引に裂かれてしまっている
   父と子を殺され夫との仲を裂かれた

「船」
貴船神社 「天岩船「船形石」など、船にまつわるものが多い
船=女陰(隠語) 貴船=高貴な女陰
奥宮の本殿境内の「船形石」=貴船神の神体石としての女陰石
罔象女神=瀬織津姫=「大禍津日神おおまがつびのかみ」=「大いに禍々しいツビ=女陰」

鞍馬の天狗=男根
貴船神と鞍馬神が本来は一対神だったものが、貴船川の水を差されて隔てられている

「瀬織津姫は天照大神の皇后」(秀真伝)
ー瀬織津姫=玉依姫は天照(あまてる)の皇后だった
ー「アマテル」は神武以前の大和を治めていた実質的な日本の支配者だったが
 いつの間にか「アマテラス」とすり替えられてしまった

鞍馬寺
唐から渡来した鑑真和上の最年少の弟子である鑑禎が、宝亀元年(770年)に草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まり(寺伝「鞍馬蓋寺縁起」
-最澄 空也もここで行を勤めた
-千手観音菩薩立像 毘沙門天立像 護法魔王立像など有名な仏像が安置
-奥の院魔王殿 鞍馬寺の聖地 護法魔王尊を奉安
ー僧正ヶ谷不動堂 天台宗を開く以前の最澄が籠った三間の祈祷所
         牛若丸が毎夜剣術のけいこを重ねた場所
ー由岐神社 「鞍馬の火祭」の起源となった
→そんな鞍馬寺には誰が祀られているのか?
・毘沙門天 ・千手観音(貴船神の夢告 「今昔物語」)
・奥の院の魔王尊=鞍馬山の主=650万年前に金星から地球に降臨した神(寺伝による)
 →金星は太白であり、天白である一方、これを金精と見た場合は金神であり、牛頭天王となる
 →すべて素戔嗚尊のこと 天白=天狗 金精=陽根や天狗として表される=素戔嗚尊
貴船は鞍馬と一対であったからこそ、貴船が「丑」と深い関係をもつようになった
ー丑ー牛頭天皇、艮(うしとら)の金神=素戔嗚尊

鞍馬ーあんばー「アンバ様」
・吹き出物や疱瘡の治療神 安産の神
・千葉県の海岸部から三浦半島沿岸部にかけて厚く信仰される
・千葉県の安房、徳島県の阿波、屋久島の安房などの地名が残る土地ーこの神が足を留めた所
・船霊様の親神 怨霊神色も濃い 「アンバ様が立った」という噂が広まると漁師が漁を休む
・大杉神社 アンバ様の総本社 茨城県稲敷市 
 -常陸坊海尊が社僧 アンバ様は天狗の形で表される
 -三輪明神又は大己貴神を祀ったのが大杉神社の起源(「大杉神社略縁起」)
→「鞍馬神」「アンバ様」は三輪の神だった=素戔嗚尊の子孫と言われる饒速日命でもある
・饒速日命を祀っている大阪の「石切劔箭神社」の神徳はアンバ様と同じ疱瘡治療

素戔嗚尊ー饒速日命ー倭大物主あるいは大山咋命
→大物主神=火雷神 丹塗りの矢となって玉依姫に賀茂別雷命を産ませた男神=アマテル

瀬織津姫の夫=アマテル 玉依姫の夫=火雷神=大物主神 → アマテル=大物主神

古代の大和は天照=大物主神が支配していた。 すなわち「天照国照彦天火明櫛玉饒速日」
この国を日本と呼んだのも饒速日命と言われている
記紀もこれを無視しきれず、「大物主、大己貴神、大山咋神」と名を変えて所々に記している

大山咋神を主祭神とする神社ー「日吉大社」「松尾大社」
→「賀茂の厳神、松尾の猛霊」玉依姫=瀬織津姫と大物主神=
大山咋神は夫婦神だったが
  朝廷に引き裂かれたために「厳神」「猛霊」という
大怨霊となった

古今、新古今の歌は、橋姫が夫と会えないように言挙げしている
   忘らるる身を宇治橋の中絶えて人も通はぬ年ぞ経にける 
     (または こなたかなたに人も通はず) 読み人知らず古今集 恋歌

鞍馬山 奥の院 魔王殿 艮金神 素戔嗚尊
ー正面の石灯籠で出入りを禁じている
ー寺紋 素戔嗚尊を祀る八坂神社の木瓜ではない
    羽団扇に似ているが異なる。鞍馬寺の「降魔扇」と羽の数まで同じだが違うもの
    菊を横から眺めた意匠。名称不明。設定時期も不明。
ー大杉権現(護法魔王影向の杉) ぐるりを柵で囲まれている











 


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